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.様々な食文化の流入 ~アユタヤー~
14世紀前半からチャオプラヤー川下流域に勢力を持ち始めたアユタヤーは、水上交通の要所に位置し、当初からごく商業的な性質を持った町であった。1350年にウートーンの領主がここを都として王朝をひらき、以後1767年にビルマによって滅亡されるまで、およそ400年間の間、アユタヤーは、インドシナ半島における政治的権力の中心としてのみならず、モノの流れの中心地、いわば巨大な市場としての繁栄したのである。市場であるアユタヤーの町にはさまざま地域から来た商人たちが住みつき、新しい食材や調理法が伝えられてきた。それらが混ざり合い、影響しあいながら、新しいものが生み出されていくという課程が、アユタヤーの食の風土だったのである。
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- 2013/09/25(水) 15:00:33|
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